運がこっちに向いてきた!?
どうもショーリです。
前回のブログから間が空きました。その間に色んなことが起きまして。
とりあえず仕事見つかりました。近所のJapanese Takeawayのお店で働いてます。
お客さんもオージーだし、オーナーも移民なので、とりあえず日本語が通じない環境です。時給もまずまず。ただ労働時間が短いのでもう一つ仕事見つけないと5SOSのライブまでにお金が貯まりません。やばい。
あとは前回書いた会社でインターンシップをさせていただけることになりました。
業務内容としては、地元の情報誌のライターをやることになりました。
自分でも正直びっくりしてます。だってねぇ、ライターですよ?ライター!
今まで保育園だのレストランだの、物書きとは程遠い仕事をしてきた私がライターになれるとはねぇ、自分でも思ってもみないお仕事ですよ!
と、書いていますが実は過去に出版社を受けたことがありまして。見事に不採用だったので今ここにいる訳ですが(笑)
なので、昔から憧れのある仕事だったので、今回こうしてインターンシップをやらせていただけることになったのは自分にとってものすごいチャンスなわけです。
インターンだからお金は発生しないけど、自分の経験として新しい職業が増えるのはホントに嬉しいっす。
私がやらせてもらえることになった仕事は、西オーストラリア州出身のアーティストを探して取材して、それを記事にすることと、日本のカルチャーの細かい部分をオーストラリアの人に向けて発信すること。
そんなわけで今は西オーストラリア出身のミュージシャンを中心にアーティストやエンタメの界隈で活躍してる人を探してるところです。
あとは6月にパースで行われるコミコンの取材に行けるかもしれない、というところですかね。
仕事辞めて外国来て、しかも働けるビザ持ってるんだから、せっかくだし日本じゃ経験できないようなことしたい、って考えたらいろんなことが開けた気がします。
この波に乗ってもう一つの仕事が見つかってくれれば万々歳です。
しかしあれだな、面接の時になぜ自分がオーストラリアに来たのか、なぜメディアの仕事がしたいのか、なぜいつまでたってもジャニヲタを止めないのか、みたいなことを暑苦しく語ったのが功を奏したんだな。
この経験を使って5SOSに直接会って話ができるような仕事ができればもうね、私のワーホリに悔いはないですよ。
JUMPのツアー日程出ましたねー。横アリ2回もあんのかー!くそー!くそー!横アリ行きてぇよー!くそー!
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クソネガ発動中
どうもショーリです。ここ最近なぜか分かりませんが憑りつかれたように嵐の『THE DEGITALIAN』を聞き続けてます。
天気が無茶苦茶なパースで楽しく苦しい就職活動中です。
そんな苦しい中ですが、救いの手が伸びてきてくださいまして、来週の火曜日にとある場所で面接をしていただけることになりました。
実際、ここの求人ポジションの空きはほぼ埋まってるらしいですが、私があまりにもしつこくしたからか、面接の権利を得ました(迷惑)
ここで働けるなら正直無給のインターンでも構わないと思ってるぐらい私はこの仕事がやりたいので、これは本当にラッキーでした。雇ってもらえますように。
そんなわけで(どんな訳で?)今回はここまでの私のパースでの生活を説明したいと思います。
3月11日にオーストラリア入国。
1週目*学校に通い始める。TFNとかレジュメの書き方とか先生に教えてもらう。
2週目*レジュメの制作と共にレジュメ配り開始。シティ中心に気になるところはとりあえず配る。
3週目*新しいシェアハウスの近くにも配り始める。ローカルのカフェから連絡が来る
4週目*カフェの面接。あと学校も卒業。無事に卒業し、ローカルの仕事もゲットした!
5週目*新しい家に引っ越し、ローカルの仕事開始。その週の週末に「永住ビザ持った経験者が来ることになって、そっちを採用することにした」と言われクビになる
6週目*再びレジュメ配り再開。音沙汰なし
7週目*現在。しつこく付きまとったオフィスで面接をしてもらえることになる。来週面接。既に緊張してる。
実は現時点でオーストラリアに着てまだ1ケ月半ぐらいなんです。
ここに来る前半年ちょいカナダに居たので、日本に全然帰ってないからもうかなり長くここにいる気がしますが、だいぶ気のせいですね。
ワーホリメーカーのブログを見て「レジュメを手あたり次第100枚近く配った」なんて書き込みを見て「私には無理だよ・・・そんなにやりたくないよ・・・」と思ってましたが、一日5~6枚のペースで週5ぐらいレジュメ配ってるんで普通に私も100枚ぐらい配ってました。恐ろしい・・・。
100枚配って連絡来るのは1~2件は事実でした。体感してます。泣きそうです。
そんな私、なんだかよく分かんないけど無駄に執着してレジュメもwebエントリーもしてる場所が2件あります。
・DOME
・The Coffee Club
なんでこの2件にやたらレジュメ持っていってるのか、更にWebエントリーまでもしてるのか自分でもよく分かりませんが、なんかすごく惹かれる場所なんです。
もちろん地域密着型のローカルカフェも素敵なお店いっぱいあるし、ホテルのキッチンもやってみたいですが、なぜかここ2件ホントに気になって気になって・・・。DOMEに関しては近所の店舗に電話しようと番号調べたらHeadOfficeって書いてあって「またまたぁ~」なんて半信半疑で電話したら『DOME人事のものです』って言われて内臓出てきそうだった(汚い)
まあでもそんなに粘ってやってても連絡無いもんは無いからそんなもんです。
別に全てを諦めてるわけじゃないし、絶対にどこか私を必要としてくれてる場所はあるって希望は捨てないようにしてますが、こう毎日毎日何もないと自分の存在価値とか、海外まで来た理由とかを見失いそうになります。
オーストラリアに来た理由はもうほんとに5seconds of summerしかないので他は何だよって聞かれたら正直思い悩むこともありますが(おいおい)
思い起こせばカナダの最初の2か月も色々あってホントに生きてくのに精一杯だった気がします。でもあの時は学生だったから今ほどの辛さはなかったかな・・・いや嘘嘘。圭人体験があったのはカナダ1ケ月目だし、ディズニー大事件があったのカナダ2か月目だし。
最初の1~2か月は何もうまくいかなくて普通だし、むしろ海外だからうまくいかないのが普通って思っておかないと絶望が増しそう。
でもあの時だって最終的には私が一番いいと思える結果に収まった訳だから、今回もきっとそうなるはず。序盤でちょっと飛ばしすぎたんだな、オーストラリア。
私、今までの人生は相葉雅紀ばりのミラクル起こしながら生きてるから、きっと相葉ミラクル今回も起きるはず。そのためにも地道にやってくしかない訳だ。
明日はいいことありますように(*'ω'*)
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Around 30's Dream
どうもショーリです。
今更ながら、ブログの書き方で気づいたことがあります。
投稿日時の調整ができるということは、昔あったことと今の生活を一緒に更新できるんですね。いやー、便利(はい今更ー)
オーストラリア生活も1か月半が過ぎました。ただいま絶賛ホリデー中です。
お金ないです。シェアハウスの家賃払うために無駄遣い一切許されません。
働けって?
知ってるわ!絶賛求職活動中だわ!何なら1か月半のうちの1ケ月は求職活動してるわ!
誰だよ!オーストラリア来たらすぐ仕事見つかるとか言ったやつ!(思い込み)
毎日いろんなワーホリメーカさんのブログを読みながらみんなどうやって仕事を掴んだのだろうと考えてます。
やっぱりここはジャパレスなのか・・・と思うわけですが、今一度、なぜ私が海外に来て、就業経験を得たいのかということを考えてみます。
・日本で飲食の仕事にずっと就いてたから、海外来てまで同じ仕事したくない。資格持ってるし経験あるからって妥協したくない。
・日本での経験は、やりたい仕事がたくさんある中で選んだ仕事だったから、海外来たら今までと全然違う仕事してみたい。
・もっというと日本じゃ絶対できない仕事してみたい。
・つーか5SOSの為にここまで来たんだから、少しでも彼らに近しい生き方をしてみたいわけだし、オージー雇用の仕事したい。
やっぱね、大元がソスだし、考え方の根本がオタクだから職業云々じゃなくて、いかにソスちゃんがこれまで見てきた世界っていうのを自分の目線で垣間見れるかっていうところに重きを置いちゃうんだよ。
だから本来ならばKFCにレジュメ持ってくのが正解なんだけどさ、ここのKFCめっちゃ混んでるねん・・・レジュメ渡す隙がないねん・・・
ていうかね、働いてなかったわけじゃないんだよ私。2週間前までは仕事あったんだよ。
思い出すとなんかしょんぼりするし悔しいからもういい加減思い出すのやめるべきなんだけど、やっぱ悔しい。
折角仕事見つかったのにってなる。どうすればいいもんか。
なんて鬱々と考えてても仕方ない。とりあえずレジュメひたすら配るのみ。
最近雨続きのパースなので、昼間家から出られないことも多いので、YouTubeでひたすら『CarpoolKaraoke』を見てる日々です。
字幕ないから正直何言ってるか分かんない部分出てきますが、いいお勉強になります。
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超私的カナダ留学卒業試験(またの名を一人旅)
どうもショーリです。
2月の最終金曜日に半年間の学生生活 in CANADAを終えて、ご褒美と実力試しを兼ねて、オーストラリアに行く前に旅に出ました。
行った先はそう、世界の最先端を行く街 ニューヨーク でございます。
最初の予定では半年間ハリファックスに住む予定だったので、年末年始でニューヨークに行くつもりでしたが、圭人事件があったのでニューヨークには程遠い場所へ引っ越した結果、ニューヨークは諦めました。
しかし今度は自分が住んでいたドミトリー(学生寮)が2月いっぱいで閉鎖することになり、学校の卒業日を1週間繰り上げて、旅行に行く日程を増やしました。
その結果、ニューヨークに行くのに十分な時間を確保することができました。
ドミトリー閉鎖の朝、私はサラ(台湾人ルームメイト)の引っ越し姿を見送り、ビクトリアからバンクーバーに移動するためのバスターミナルに向かいました。
最後の1週間だけ私とサラのルームメイトだった韓国人のジュヤンと二人でバスを待っていたら、ムギちゃんが見送りに来てくれました。
(ムギちゃんについてはこの記事に書いてあります↓)
thenewbrokenscene.hatenablog.com
実はムギちゃん、私と同じ日にビクトリアに着いて、同じ日から同じ学校に通い始めました。
たくさんいた学友の中でも、私にとってムギちゃんはとても特別な存在で、ムギちゃんも私と同じことを考えてたと言ってくれたのは嬉しかったです。
バスが出るギリギリまでムギちゃんと喋って、別れる時はやっぱり泣いた私と、つられてちょっと泣いてたムギちゃん。
あっという間に帰り道を歩くムギちゃんを追い越すバス。そのまま市街地を抜けてフェリーに乗り込むバス。バスごと乗り込むってすげぇなと感心しながらジュヤンと二人でフェリー内をうろうろ。
3時間ほどでフェリーはバンクーバーに到着し、市街地に向かうジュヤンと空港に向かう私はここでお別れ。
それから空港に行きアラスカ航空で搭乗手続きを済ませてあのプロペラ機に再び・・・。
シアトルから夜の便でニューヨークに向かい、到着したのは朝6時
まじねー、何事かと思ったよね。とりあえず荷物を受け取りロビーで2~3時間ほど撃沈。JFKの国内線ターミナルは寝てる人がめちゃめちゃ多くてびっくりしました。そして寝ました。
その後エアポートシャトルに乗って向かうはマンハッタン。
グランドセントラル駅から10分ほど歩き、ラゲッジ預かりのお店に行って荷物を預けてニューヨーク市立図書館を見学。
5年前、仕事で体調を崩して寝込んでいた時Gyaoで無料配信をしていた『SEX AND THE CITY』を見てからドラマの大ファンになった私としては、どうしても行っておきたかった場所。
ここは美術館か、と思うぐらい綺麗で迫力のある建物内。着いたのが日曜日だったこともあり、ものすごくたくさんの人が訪れていました。
結局図書館にはなぜか2時間ほど滞在し(だって面白くって出られなかったんだもん)向かいの通りにあった大好きな『jamba juice』で軽く食事のようなものを済ませ、荷物受け取って地下鉄に乗り、今回お世話になるアコモデーションへ。
ニューヨーク滞在中、お世話になったのは日系アコモデーションの『OYADO』さん。
ニューヨークのど真ん中で、これまたとんでもなくお手頃価格で静かに滞在できるとISHIMETALさんに教えてもらいブック。
マジね、自分の家かと思うぐらい快適でした。
そして写真を撮り忘れる私なのでここから先はダイジェストでお送りします。
2日目
宿泊先のすぐ近くにサラべスの支店があるとの情報。サラべスへ向かう。オムレツとマフィンで朝ご飯。
地下鉄に乗りメトロポリタン美術館。
美術館全部回ったら1日終わった!!!!!!
3日目
ドミニクアンセル本店に向かい、満を持してクロナッツとの対面。相葉さんでおなじみのあのドーナツショップのクロワッサンドーナツも嫌いではないですが、やっぱ本物は全然違いました。
それからWTCに行き911の博物館を見学。そこからウォール街を散策し、ブルックリンへ。
2014年にNYで一番おいしいハンバーガーと言われたお店に向かいハンバーガーを食べる。からのブルックリン橋散策。まわりカップルだらけ(リア充爆発しろ)
ロックフェラーセンターに上り、100万ドルの夜景を鑑賞。カップルだらけで意気消沈し、帰宅。
4日目
タイムズスクエアに向かいtktsで『SHE LOVES ME』の当日券を購入。
買い物の下見がてらタイムズスクエアうろうろうろ。
薮くんがやったのになぜか見に行かなかったシーラブをブロードウェイで鑑賞。シーヤブも見てたらきっとイメージ変わってたんだろうな。
5日目
ニューヨーク自然史博物館からのMOMA。一人旅だからこそできる美術館のハシゴ。
やっぱり美術館で1日終わる。アコモ近くのスタバ通いすぎて店員に覚えられる。
6日目
雪降ってました。まさかの初雪 in ニューヨーク。
雪が降る中グッゲンハイム美術館へ向かう。思い起こせばニューヨーク、美術館ばっか行ってる1週間。
見学が終わる頃、雪もやっと落ち着き曇天のセントラルパーク。
雪!曇り空!セントラルパーク!まさに私の見たかったニューヨーク!
下手くそなのに自撮りしまくる。みかえしてもたにんにみせられたもんじゃねぇ。
セントパトリック大聖堂に行き、お祈りをしてからタイムズスクエアでちょっとだけ買い物。
7日目
ニューヨーク脱出。向かう先はボストン。
つまり移動で1日終わる日。
8日目
ボストン散策。フリーダムトレイルに沿ってボストンをめぐる。
途中でユニオンオイスターハウスでご飯。牡蠣もロブスターも嫌いな私はサーモンを注文。めちゃめちゃうまい。
バンカーヒルの記念塔に上ってボストンの街を一望する。まさかのホームシック発動。
(母親が大学時代、ボストンに留学していたことを思い出してホームシックになるアラサー)
MITに行くが日曜日だったため学生生協はお休み。私おみやげここで買うつもりだったんですけど!?
9日目
ボストンから再びニューヨークへ。往復航空券買っちゃったもんだからニューヨークからバンクーバーに戻らないといけないので面倒ですがまた移動。
空港近くのホテルに一泊し、翌日の長時間フライトに備える。
10日目
さよならニューヨーク。楽しかったよ。またお金貯めて遊びに来ます。
ただいまカナダ。そして私は明日オーストラリアに旅立ちます。
人生で一番贅沢な10日間でした。
バンカーヒルの記念塔、一番上まで行ったことある人はマストぽちり!
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カリフォルニアディズニー(難易度5+経験値)
※5/10 地名が間違っていた部分がありましたので、修正しました。
どうもショーリです。
カリフォルニアディズニー(難易度5)で行きつくまでの説明をしたディズニー旅行のお話を少ししたいと思います。
私がディズニーに行ってきたは真冬の最中、2月の2週目の平日でした。
真冬の最中です。2月です。なめてましたカリフォルニア州。
連日真夏日の30度越え。夜も半袖で余裕!ビクトリアからヒートテック着用だった私は正直、溶けるかと思いました。
ビクトリアからロサンゼルスまでは片道およそ5時間。ですが我々が取った飛行機では、ほぼ1日移動に時間がかかりました。
それはシアトルからロサンゼルスに向かう飛行機を待っていた時のこと。
私が乗る飛行機の搭乗口に行くと、書いてある行先はロサンゼルスではなく、サンタローザ。
「ねぇねぇ、サンタローザってどこ?」
「え?知らない」
「この飛行機であってるんだよね?」
「うん。引き替えてもらったチケット、この時間だしこの搭乗口だし・・・え、待って、またプロペラ機控えてるけど!?ねぇ!?」
ビクトリアからシアトルは、距離も近いので小型の旅客プロペラ機で移動することが多いらしく、我々も例に漏れずそのタイプで向かいました。
ですがシアトルからロサンゼルスでもそんなことあるわけねぇだろ!って思ってたんですが、それがサンタローザと関係してくるわけです。
私たちが乗った飛行機は電車で言うところの中央・総武線や地下鉄と相互乗り入れをしている東武線や東急線みたいな感じの飛行機で、シアトルからサンタローザに行く人を主に乗せて、その飛行機で今度はサンタローザからロサンゼルスに行く人を乗せる、というものでした。
関東近郊の横アリ通いのジャニヲタ風に説明するとすれば
・シアトル~サンタローザ=北千住~渋谷
・サンタローザ~ロサンゼルス=渋谷~菊名
・シアトル~ロサンゼルス=北千住~菊名
そんなこんなで(どんなだ)シアトルから途中でサンタローザに止まりつつ、無事にロサンゼルスまで到着しました我々。
空港から事前にチャーターしていたシャトルバスに乗ってディズニーランドに向かいます。
泊まったのはDLRに行くのならばお馴染みと言っても過言ではない『アナハイムプラザホテルアンドスイーツ』です。
パーク徒歩5分圏内で1泊100ドルを切るというとんでもないホテル。もちろんディズニーグッドネイバーホテルの一員です。
2月頭ということでなかなかいい感じの閑散期だったこともあり、3泊で一人120ドル程というぶっ飛び価格でブッキング(ちゃんと代理店通しました)
昼の便で出た我々がチェックインしたのは夜9時前。恐るべし途中乗り継ぎプロペラ機・・・。
鍵を持って部屋に行くと、鍵が動かないではないか。格闘する私と、冷ややかな目で私を見る友人ムギちゃん(名前の由来は後々説明します)
散々格闘して惨敗した私に変わり鍵を開けるムギちゃん。3回ぐらいやったところ
「私も無理!ショーリ頑張って!!」
ムギ(末っ子)の攻撃『あまえる!』ショーリ(長女)『こうかはばつぐんだ!』→あっさり鍵を受け取る私。そして開いたドア。
結局のところどうやったら鍵が開くのかわからないまま、このあと3日間同じ形でドアVSショーリが繰り広げられるのであった。
翌朝から2.5日のディズニーパークの旅が始まりました。
先に言っておきますが、私写真撮るのすごく苦手で、あまり写真がございません。申し訳ない・・・。
そんな私が精一杯撮った写真がこちら。
まぁこんな感じです・・・。写真撮るの苦手というか、写真撮るのを忘れるタイプの人間です。そんな奴がブログやるなよって話ですが。
やや濃いめのDヲタな私と、ディズニーは友達と双子コーデとかで行っちゃうリア充のムギちゃん。事前に入念な計画を立てるでもなかったが私が『カーズランドに行きたい』というのと『エルサ様と写真が撮りたい』『カスタムメイドしたライトセーバーが欲しい』と主張し、ムギちゃんが『ミッキーのクッキーとプレッツェルが食べたい』『パン屋さんの作業場が見れるアトラクションに行きたい』と主張したのでそこに重きを置いた今回の旅。
ラジエータースプリングとアナ雪グリを終えた私はちょっとずつ疲労が見え始める(アラサーあるある)
そんな私をよそにだんだん本調子になるムギちゃん(同級生は菊池風磨)
ちなみにムギちゃんが一番嬉しそうにしてたのは『ザ・ベイカリーツアー』でパンができるまでの行程をガラス越しに見てる時でした。すげー写真いっぱい取ってた。
小麦粉が大好物のムギちゃんはmade from flowerのものを食べれるだけ片っ端から食べてました。そりゃ見てるこっちが気持ちいいくらい。だからムギちゃんって呼んでるんです。
普段TDLやTDSに行くときはパレードもショーもあまり見ない私ですが、折角カリフォルニアまで来たんだから、ショーは見ておきたいなということで初日は『ワールドオブカラー』翌日は『ディズニーランドフォーエバー』を鑑賞。
特にワールド~は日本じゃ絶対見られないショーなので鑑賞エリアもちゃんと取っておきたいと思いFPにてブルーエリアの鑑賞券をゲット。
映像が始まった瞬間、ぶわっと鳥肌がたったのは今でも忘れられないです。
あとはこれもう自分の中でできたパブロフ現象なんですが、『Let it go』のイントロ聞くだけで涙出ちゃうんですよ。例に漏れず泣く。
それと一緒にディズニーに来るまでに有った様々な困難を思い出し、引くに引かない涙。
ショーが終わって号泣する私に驚くムギちゃん。
「ムギちゃん、一緒に来てくれてありがとう」
「いや、私はショーリについてきただけだよ。一緒に行こうって言ってくれてありがとう」
「一緒にこれてよかったよー!!!」(号泣)
「はいはい泣かない泣かない。タワテラ乗せるぞ」(年下)
「はい・・・」
ちなみに翌日のディズニーランドフォーエバーでも同じことが起きる。でも怒らなかったムギちゃんは偉いと思います。
2.5日でやること全部やって、無事にビクトリアまで帰った私たち。
しかしね、前途多難な旅は最後の最後にまた何か起きることになってるんだよ。
ビクトリアの入国審査で、学生ビザが私のパスポートに貼られていないことを不審に思った係員に別室に連れてかれる私。
この時点で本来、学生ビザは発行されたらイミグレオフィスの係員がパスポートに添付しないといけないと知る私。貼られなかったと説明し、紙のまま綺麗だと説明するとオフィスの人が『貼らなかったのはこっちのミスだわ、ごめんなさい』と言ってくれた。
だがしかし持ってきたはずの学生ビザが私のカバンに入っていない(つもりでいただけで、部屋に置きっぱなしだった)
なのでパスポートから発行データを探してもらうことに。
『あなた、どこ行ってたの』
『か、カリフォルニアに4日ほど・・・』
『何してたの』
『ディズニーランド行ってきたんです!』
『そう・・・楽しかった?』
『めちゃくちゃ!エルサに会えてすごく嬉しかったの!』
『よかったわね。あ、あなたの学生ビザ、9月に発行されてるのね。オッケー分かったわ。ハッピーバースデー』
パスポートのデータを確認して笑顔で手を振るオフィスのお姉さん。
釈☆放
帰り道、ムギちゃんのホストマザー(ビクトリアについたとき私をピックアップしてくれた人)とムギちゃんと3人で旅の話をする。
マザーに『全く!ムギもショーリも二人になるとすぐ日本語使うんだから!』といじられる。でもムギちゃんも私も来たときよりずっと英語が使えるようになったので、そんなマザーのジョークも分かるようになって、成長したなとしみじみ思った。
あとはホントに私の旅はどう足掻いてもスムーズに事が進むなんてありえないということも改めて思い知らされました。
ディズニー(難易度5)、クリアしたのでボタンぽちりお願いします!
もうひとりのアラサージャニヲタ
どうもショーリです。
カナダという広大な土地を持った国の、とても小さな島の端にあるビクトリアという街で生活していた私。
そんな大きな世界の小さな場所で、ジャニヲタに出会うなんて想像するわけもないじゃないですか。なんなら私はダイレクショナーの方が出会う確率高いと思ってここに来たわけでして。
日本人なんて決して多くないビクトリアで私は2人の松本担に出会いました。
こんな場所でしかも松本担が2人とか、私はぶっちゃけよく分かりませんでした(笑)
日本で仲良くしてるJUMP担の友達で、嵐が好きな子はみんなこぞって二宮さんか大野さんのファン。潤くんが好きだといってる私を軽くあしらってきます。
今まで生きてきて松本担に出会ったことのなかった私がなぜカナダで松本担に出会ったのか。未だに謎ですがきっと運命だったのでしょう(笑)
一人は潤くんを『カッコイイ』『王子様』『クールに見せかけて熱いっていうギャップがいい!』という、まぁいわば私と全く属性が逆な松本担。
もう一人は潤くんを『可愛い。ずるい』『地上に降り立った天使』『強火櫻井担』なとど呼ぶ私と全く同じ属性の松本担。
同じ潤くんのファンだったら誰でも仲良くなれる自信があったのですが、属性が逆な松本担とはまぁ正直なかなか打ち解けられるはずもなく(オイ)
たった3か月しかカナダにいられなかった同属性の松本担とは3か月ずっと一緒に遊んでもらってました。
彼女は11月から1月終わりまでいたので、大晦日の年越しパーティーを一緒にやったり、台湾人のシェアメイトが開いたホットポットにも来てくれたし、一緒にトレッキングしたり、なにかあるといつも一緒に遊んでました。
数少ない元社会人組の留学生だったのもあり、彼女とは他の友達とは分かち合えない話も共有できたのはあの頃の私にとって、すごくいい刺激でした。
見た目はぶっちゃけ私のすごく苦手なAneCan系リア充デキ女だったので、最初は絶対この子と仲良くならないだろうなー、と授業中、彼女の横顔を見ていましたが、なんかの拍子に嵐ヲタの松本担だって知ってからぐっと距離が縮んだ(笑)
彼女に出会うまで、カナダで勉強するにあたって、日本人の友達は必要ないとか、日本語喋るような環境はいらないとか、結構日本語に対して厳しくしてた部分もあったし、それは自分に対する甘やかしだし、諦めだとも思ってました。
もちろん日本語を全然喋らなかったわけでもなければ、日本人といる時は日本語で喋ってましたが、必要以上は使わないようにしないと、と自分で真面目に考えてたところもありました。
今これを読んでて私のカナダでの生活を知ってる人がいれば、びっくりすると思います。だって私だいたいISHIMETALさんと日本語で喋ってたからね(笑)
3か月しか一緒にいなかったけど、私の心の支えになってくれてた彼女。
カナダに来てから全然話せなかったジャニヲタ全開のトークを短い時間でたくさんすることが出来たから、思いのほかカナダで綽々とした生活ができたのかもしれないです。
もし海外でジャニヲタを見つけて、それが自分と馬が合いそうな人であれば、英語に対して厳しくならずに、ガンガン日本語で仲良くなるのは正しいと思います。
相手も英語を勉強しに来てるわけですから、いくら気の合うヲタクでもずっとその人と日本語で話し続けるなんてことはないはずです。
確実な味方をつければ、イングリッシュスピーカーばっかりが集まるところにだって怖がらずに行けます。ひとりよりもふたりの方が心強いですからね。
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逃げ場がないのが本場のハロウィン
どうもショーリです。
海外に来る前は保育園というところで働いていたので、いろんな行事になかなか敏感でございまして、気合入れるタイプなんですよ。
そんな私ですが、どうしても2大嫌いなイベントっていうものがあります。
・ハロウィン
・イースター
この2つ、日本にいる間ホントに嫌いだったんですよ。あと断片的にクリスマス。
なんかグッズが可愛いとか、パーティーに適した料理作りやすいとか、とにかく
リア充!リア充!リア充!
な感じの空気がほんとに嫌なんですよ。日本の。
ハロウィンは本来、秋の収穫をお祝いするとともに、季節の変わり目で、この世とあの世の境目がなくなって、あの世からの使者が子供を連れてっちゃうから、その魔除けのためのお祭りなわけであって、決してリア充どもが大騒ぎして他人に迷惑かけながら大騒ぎしてコスプレする日ではないんです。
そしてイースターは、処刑されたキリストが復活したことをお祝いするいわば宗教的にしっかりしたお祭りであって、決してよく分かんないけどうさぎと卵が可愛い春のお祭り☆ではないんです。
そんなイベント好きでイベント嫌いの私。カナダにいる間どうしても避けて通れなかった憎きイベントがハロウィンでした。
ハロウィンの唯一好きなところは地上波でも『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』が放送されるところですかね。でも個人的にあれはクリスマスの話であってハロウィンの話ではない。
授業でハロウィンについて話した時も
『私は本当にあのイベントが嫌い!日本人は意味もなくコスプレしてどんちゃん騒ぎする日だと思っててほんとに嫌!』
とプレゼンテーションに題材にして話したぐらいです。
しかしそんな私もカナダでハロウィンの餌食になりました。
事の発端はリスニングクラスの先生と一緒にご飯を食べていた時のこと。
『Mellyはハロウィンでコスプレすんの?』
『わかんないなー。でもその日は先生みんなコスチューム着て授業するから超シュールな画が広がってるわよ』
『うっそマジ?信じらんない』
『ショーリも折角だからやってみたら?カナダにいる間の思い出だと思って』
『ヤダ』
『全く・・・あ、じゃあ私もちゃんとコスチューム着てくるからショーリも着てくること』
『えーなんで!』
『ここは日本じゃないから大丈夫!ほら、約束!』
こうしてハロウィンデビューすることになってしまった私。インカナダ。
ちなみにハロウィン前日に会ったパンプキンカービング(かぼちゃのランタン作るイベント)にはちゃっかり参加して、大好きなジャックスケリントンのランタンを作りました。そういうのは好き(矛盾)
そして迎えたハロウィンの朝。
コスプレ衣装に身を包み、台湾人シェアメイトのサラと共に学校へ向かう私。
『ショーリ、一つ聞くけど、それ、衣装なの?』
『え、そうだよ。私の基準はハロウィンが終わってからもこの服が着られるかどうかだから』
私がチョイスしたのは映画『バックトゥーザフューチャー』の主人公、マーティーマクフライの衣装。
これですね。私個人的にこのぐらいのコスプレなら頑張れるということでチョイスしました。みんなにさんざん『ショーリのはコスチュームじゃねぇ!』と言われたり『それあれだろ!ポケモンの主人公!ピカチュウは?』と言われる始末。それなら最初っからサトシにしたわ!
結果として、校内コスプレコンテストに出ることになりました。無難にかぼちゃの仮面とかかぶっときゃよかった。
でも携帯やデジカメの整理をして、ハロウィンの写真がいっぱい出てきたのを見て、私もなんだかんだ楽しんでたんだな、といい思い出になりました。
多分日本に戻ってもハロウィンにはしゃぐことはもうないと思いますが、外国ならではの楽しいハロウィンに参加したのはいい事だったなと考えてます。あの日のことは、今思い返しても笑えてくる(笑)
ホントはハロウィンの衣装探してる時、古着屋さんで黒のナポレオンジャケットが見つかったら『Monster』のPVの松潤のコスプレぐらいしてやるぞこんにゃろう!ぐらいな事は思ってました。
だって私の友達ガチもんのレイヤーばっかりだから、やっぱそっちに寄せていきたいっていう気持ちはありました(どんな)